弘隆寺について

【住職ご挨拶と経歴】
私が仏の道に足を踏み入れることになったきっかけは、父親の実家が倶知安の金毘羅寺というお寺で、
そのお寺を継いでほしいと言われたことでした。
その倶知安の金毘羅寺で修行していた方がこちらの弘隆寺で住職をしていたという繋がりがあります。

父の実家はお寺でしたが、父は四男だったのでお寺を継がず建築関係の仕事をしていた影響で、
私も空間デザイナーなど建築の仕事をしたいと思っていました。
ですから、お寺を継いで欲しいと言われるまでは仏門に入ることは考えたこともなかったのですが、
建築の方面で寺院や庭園に対する興味がありました。
建築物としてのお寺・庭園に対して興味を持っていたことと、継いで欲しいと言われたお寺と私の間に血縁関係があったことでご縁を感じ、仏門に入ることを決めて高野山大学に進学しました。
大学を出てからは、倶知安の金毘羅寺とこちらの弘隆寺を行ったり来たりして修行し、2002年に弘隆寺住職に就きました。

私には60歳になるまでに、地域の人が入りやすい、集まりやすいお寺作りをしたいという目標があります。
例えば、写経や写仏、仏様の塗り絵などをしてお寺で過ごしてもらえる寺カフェを催すことだったり、本堂まで入りづらければ入らなくてもお参りできる形にすることだったり。 集まった人同士でお話ができたり、私がいれば私が相談にのったりして地域の人同士コミュニケーションがとれる器作りをしたいと思っています。
月参りなどで檀家の皆さんとお会いする機会も大切だと考えていいます。
お話する時は難しい言い方をせず分かりやすい言葉でお話することを心掛けています。
お参りそのものは勿論大切ですがそれだけでは無くて、檀家の皆さんの心のケアができるような対話を心掛けています。

近年はお寺と一般の方の間に距離ができているような状況もあるようですが、そうであればなおさら、ご供養のことを安心して全て任せられると思ってもらえるような信頼関係を保っていくことが大切だと考えています。例えば、東京に住んでいる方のご両親のお骨が恵庭にある場合、全ての供養を自分ですることは難しい。そういう方に、供養のことは住職にお任せするよと思ってもらえるような信頼関係を保つ。それができるお寺でありたいと思っています。
弘隆寺はご祈祷もするお寺なので、宗教を問わずにご祈祷に来る方も多く、それも地域の方が気軽に集まれる場所作りにつながるのではないかと思っています。

人はちょっとしたきっかけで物事に対する考え方や感じ方が変わるものです。
散歩をして木から葉が落ちるのを見る、花が咲くのを見る。そんな何気ない一瞬に人生のヒントを感じ取る人もいます。
お寺に来ることもそのきっかけ作りの一つになると思います。
私は人が集まりやすいお寺、コミュニケーションを取れる場を作って地域の方々と関わることで、
皆さんの人生に良い刺激を与えられる存在になりたいと思っています。

【弘隆寺の歴史】

大正8年
秋山宥猛和尚 恵庭の地で布教活動を始める
昭和3年
小樽市・金毘羅大本院所属千歳郡説教所を設置する
昭和10年
千歳郡恵庭村大字漁村472番地10の現在地に移転する
名称を「古義真言宗金毘羅大本院千歳郡説教所」とする
昭和17年
名称が「真言宗高野山千歳金毘羅教會」となる
昭和39年
宗教法人法の改正に伴い再度申請をしなかった為、宗教法人「真言 宗千歳教會」法定解散となる
昭和40年
新法人「真言宗高野山千歳教会」設立する
開山住職の秋山宥猛和尚より開基住職として山本隆観和尚となる
昭和48年
名称を宗教法人「弘隆寺」に変更する
昭和51年
当山第二世住職に倶知安町・金毘羅寺住職の秋山有俊和尚が兼務する
昭和59年
秋山有洋が入寺する
平成8年
秋山有洋が第三世住職就任する
平成9年
本堂増改築及び庫裏(住宅)の新築する
平成17年
境内地の買い戻しをする(新本堂建設地)
平成26年
新本堂並びに納骨堂建設を発願する
(高野山開創1200年記念事業、 並びに当山開創80年・寺号公称40年・住職入寺30年)
平成28年
平成27・28年に建立・荘厳・境内整備をする
平成29年
7月15日落成慶讃法会及び記念式典を厳修する
令和元年
遍照殿「合葬納骨堂てらす」建立